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皆様、新年明けましておめでとうございます。 昨年も壁画保存修復活動を通じて、様々な分野の方々と知り合うことができました。お世話になった方々、この場を借りて厚く御礼申し上げます。今年も昨年に引き続き、日本国内外の壁画を対象に保存修復および研究活動を展開してゆく予定です。そして、少しでも多くの方々にご関心を持っていただけるような情報を発信してゆきたいと思いますので、何卒よろしくお願い致します。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。 #
by affresco-bastioni
| 2015-01-01 12:00
| 修復家の独り言
サン・マルコ美術館。もともと修道院であったこの場所にはサンタントニオ、サン・ドメニコと呼ばれる2つの回廊があります。そのサンタントニオの回廊北側に位置する聖堂参事会員室には、フラ・アンジェリコによって描かれた『キリストの磔刑図と聖人達』と呼ばれるフレスコ画があります。この作品は、保存管理・修復に向けた調査が開始されてから4年目を迎える今年、無事に全行程を終え、再び訪れる人々に感動を与えています。 少し作品にまつわる保存修復の歴史をお話しましょう。この壁画は1967年の時点で多大なるダメージを受けていました。背景は後世の修復によって度重なる加筆が施され、表面には塩やカビが大量発生していたのです。こうした症状を改善させようと1967年から1974年にかけ、壁画保存修復士ディーノ・ディーニ氏とフィレンツェ大学のエンツォ・フェッローニ氏が協力し、新たな保存修復技術の開発が始まります。そして、数々の実験研究を繰り返し完成されたのが『アンモニウム&バリウム法』でした。この技法は、それまでの壁画保存修復技術とは一線を画した画期的なものでした。 それは、可溶性塩を不溶性塩に変え、かつ彩色層の凝集力を復活させるものでした。この方法が開発されると、それまで塩の発生により彩色層に傷みを抱えるフレスコ画の多くはストラッポ法によって壁から剥がされることが常であった状況から脱し、制作されたオリジナルの壁面に留める形での修復が可能となったのでした。 2011年にこの磔刑図の保存管理プロジェクトが始まると、非破壊での分析調査も並行して実施され、壁画制作時における技法や保存状態のチェック、また進行中と判断できる傷みの確認が行われました。その結果、1970年代に行われた修復は全体的な保存という面において、非常に良い状態が保たれている事が分かったのでした。これは、前述した革新的な修復方法が着実に効果を発揮していることを裏付けるものでした。 それでも、予防策に乏しい金箔使用箇所や修復による加筆箇所の老朽化、および塩の発生に伴う微細な彩色層の剥離が発生していることが分かりました。これ等の症状は、通常保存管理で行われる軽いクリーニングや補強作業では対処できるものではなく、各症状の改善に向けた対処法を導き出すべく数々のテストが繰り返されました。そして、2013年よりそれまでの保存管理に引き続き、本格的な保存修復が開始されたのでした。作業行程の中では、40年前に行われたあの『アンモニウム&バリウム法』も再び採用され可溶性塩や彩色層の剥離といった問題点も解消されました。その結果、現在はフラ・アンジェリコが描いた当初の神聖な輝きを取り戻しています。 今年も壁画保存修復の世界を通じて、多くの人々や作品との出会いがありました。また、このブログにも沢山の方々に訪れいただき、心より嬉しく思っております。2015年も引き続き壁画の研究を続ける傍ら、少しでも多くの作品を救うべく活動を展開して行きたいと思います。そして、壁画の世界や保存修復の世界を皆さんにお伝えして行けるよう発信して参りますので、どうぞよろしくお願い致します。 皆様にとって2015年が素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。 #
by affresco-bastioni
| 2014-12-12 21:00
| 修復家の独り言
ピエロ・デッラ・フランチェスカというルネサンス期を代表する画家をご存知ですか?アレッツォの街に建つサン・フランチェスコ教会のバッチ礼拝堂壁面に描かれた彼の代表作「聖十字架伝説」(1452~1466年頃制作)は世界的にも有名です。数学や幾何学の研究にも熱心であったことから、彼の作品には巧みな遠近法や計算された空間表現がみられます。また、フラ・アンジェリコやドメニコ・ヴェネツィアーノといった画家からの影響を受け、透明感を持つ明るい色彩表現がなされていることも彼の特徴のひとつと言えるかもしれません。 そんなピエロ・デッラ・フランチェスカのもうひとつの代表作『キリストの復活』が修復されることとなりました。この壁画作品は彼の生まれ故郷でもあるサンセポルクロの街の市立美術館に描かれています。フレスコ画技法とセッコ画法の混合技法で描かれており、今日に至る約5世紀もの間、本格的な保存修復がなされたことはありませんでした。しかし今回、この作品の表面に白く不透明な染みのようなものが確認され、彩色層や漆喰層に剥離箇所が確認されたことから本格的な保存修復が行われることとなりました。もちろん、こうした傷みはここ最近になり突発的に現れたものではなく、以前からも修復の必要性が囁かれていたのですが、費用面での問題もありなかなか実現にまでは結び付いていませんでした。そんな時、スイス在住のアルド・オスティ氏(83歳)より日本円で3千万近い寄付が寄せられることとなったのです。オスティ氏はピエロ・デッラ・フランチェスカのこの素晴らしい作品を未来の人々にも伝えたいという強い想いから今回の決断に至ったそうです。 また、この保存修復事業決定の際に開かれた記者会見では、サンセポルクロの市長ダニエラ・フルッラーニ氏より、「ピエロは第二次世界大戦中に、空襲からサンセポルクロの街を救ってくれた。今回は、私達がその恩返しをする時である」とのコメントがありました。それは、大戦中にサンセポルクロ空爆を計画指揮していたイギリス軍のキャプテン、トニー・クラークが、作家オルダス・ハクスリーが自身の著書の中で、“ピエロ・デッラ・フランチェスカの描いたキリストの復活は、世界で最も美しい絵画である”と記していたことを記憶していたことから中止の命令を下したというエピソードに由来します。 今日に至るまで、様々な人の心を鷲掴みにしてきたピエロ・デッラ・フランチェスカの代表作。保存修復はフィレンツェ国立修復研究所とアレッツォ美術監督局により、約1年半の計画で進められていますが、作業中にもその様子を訪れる人々が見学できる形がとられています。サンセポルクロへはアレッツォからバスで1時間の距離。イタリアを訪れられる際には是非、このトスカーナ州にひっそりと佇む小さな街を訪れてみてはいかがでしょうか。 #
by affresco-bastioni
| 2014-11-25 21:00
| 修復家の独り言
マルケ州に位置する小さな街レカナーティ【Recanati】。今回は、この街の一角に建つサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会について少しお話をしたいと思います。 もともとは女神ヴィーナスを祭るために建てられた建物が、キリスト教の普及に伴い教会として洗礼を授け直されたのは15世紀半ばのことです。一説では、当時猛威を振るっていたペストを鎮める役割を担う教会として、多くの巡礼者が訪れていたそうです。そんな教会の中には、ジャコモ・ディ・ニコラ【Giacomo di Nocola】という画家によって1459~1460年に描かれた壁画が壁面を覆っていました。 そんなサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会に描かれた壁画ですが、現在は大きく変わり果てた姿にあります。その大半が上塗りされた塗料や漆喰によって塗り潰されているのです。その主な原因は、なんと皮肉なことにも、本来この教会に訪れる人々が祈りを捧げていたであろうペスト鎮静への思い。そのペストが17世紀に再流行し、それを除菌する為だったのです。かつてイタリアでペストが猛威を振るっていた頃、このペスト菌対策として、漆喰をこねる時に使用される消石灰がもつアルカリが大きな除菌効果を持つとして、壁という壁が白く塗られたことがありました。この教会も然り、美しく壁面を覆っていた壁画群は、無情にも全て塗り潰されてしまったのです。 1931年のこと。偶然にも壁の中から壁画の一部が発見されます。金銭的な問題などもあり、当時はその一定区画のみが修復対象とされるも、その後、作品の全貌が明らかとされることはありませんでした。それでも、今日に至るまでに繰り返し行われた改修工事のたびに漆喰が塗り重ねられ、その時代その時代ごとに描かれたスタイルの異なる作品の存在が明らかとなったのでした。 現在この教会は、壁を伝い登る強い湿気の影響を受け、深刻な傷みを抱えています。この状態を改善させ、保存に向けた活動を展開してゆこうとする動きがここ最近になり生まれてきました。その背景には、長年に渡りこの教会を研究して来られた一人の研究者の強い思いがありました。マリオ・ヴェルドゥッチ氏。彼が記した一冊の本には、この教会が持つ歴史的重要性がこと細かに書き記されており、多くの人の心に訴えかけたのでした。現在わたしも、微力ながらこの教会の壁画の保存修復に向けて何か出来ることはないかと試行錯誤を繰り返しております。いつの日か、みなさんに良い形でのご報告ができるよう取り組んでゆきたいと思います。 #
by affresco-bastioni
| 2014-10-25 20:00
| 修復家の独り言
今回は、現在イタリアのアッシャーノという街で進めている壁画保存修復についてお話したいと思います。アッシャーノという街はイタリアのトスカーナ州にある小さな街で、ユネスコ世界遺産にも登録された歴史地区を有するシエナの街より南東に約30㎞の距離にあります。その街の中に建つ《サンティッポリート教会》(Pieve di Sant’Ippolito)の主祭壇に描かれたフレスコ画が、今回ご紹介する対象作品となります。 この保存修復事業は、『公益財団法人 住友財団』が行っている「海外の文化財維持・修復事業助成」を受けて実施しているもので、今年は2年事業計画のうちの1年目に当たります。修復対象となっている作品は、15世紀前後にジャコモ・パッキアロッティという画家によって描かれたとされるフレスコ画で、《聖母子と聖会話》(Madonna col Bambino in trono)をテーマに描かれています。『聖会話』という題材は、イタリアルネサンス期に生まれた様式で、キリスト教における聖像様式のひとつです。作品画面上に聖人達を一堂に描いた構図を指してこう呼びますが、この様式が誕生するまでは、多翼祭壇画として複数の聖人を個別に描くことが一般的とされていました。 この作品の調査をはじめて行ったのは2012年のこと。高さ5m、幅7mの壁画作品は、様々な種類の傷みによって蝕まれ、過去に行われたと考えられる修復箇所も、その杜撰な処置の仕方によって外観美を損なう大きな要因のひとつとなっていました。綿密な保存修復計画を立て、2014年の8月下旬より他2名の壁画保存修復士と共に現地入りしたのですが、足場を組んでもらい至近距離から見る作品は想像以上に傷みが激しく、幾つかの保存修復計画を変更せざるを得ない状況にありました。その中でも私達を大いに落胆させたのが、漆喰層の内部で起きている剥離箇所の多さでした。壁画表面をノック法と呼ばれる方法で探ってみると、至る所で漆喰が剥離していると判断できる空洞音が鳴り響き、見た目以上にこの壁画の傷みが進行していることが分かりました。 事前調査から得られた情報や、実際に足場に登り作品に触れながらの状態調査の結果が整理できたら、いよいよ本格的な保存修復作業へと移行してゆきます。段階に沿って簡単に解説してゆきましょう。 まず最初に行ったのが、柔らかい刷毛を用いた壁画表面への付着物除去作業です。この時、事前調査の段階で描画層の劣化が箇所されていた場所は避けながら作業を進め、事前補強作業として劣化部分の接着力を増強させる処置を行います。この処置を怠れば、刷毛からの圧力で、弱った描画層は全て失われてしまうのです。 刷毛による除去が可能な表面の付着物を拭い去り、描画層が安全な状態になったことが確認できたら、今度はイオン交換水を用いてクリーニング作業の第一段階を行います。竹串の先にコットンを巻き付けたものに水を染み込ませ、壁画表面に圧力をかけ過ぎないように注意しながら汚れを除去してゆきます。これは、作品に使用されている顔料の種類によっては、画面定着率が低下しているものや、バインダーを用いたセッコ画法で描かれている部分が含まれている可能性があるからです。コットンに顔料の溶解による付着物がないかを慎重にチェックしながら、約35㎡の壁面をクリーニングしてゆきました。 その最中、壁画の左右に描かれた緑色のカーテンや最下層部に描かれた装飾がオリジナルではなく後世の時代に描き加えられたものであることが判明しました。調査を進めてゆくと、部分的にその下にはオリジナルの描画層が残っていることが判明し、急遽、加筆部分の除去作業を行うこととなりました。その結果、画面右端のカーテンが描かれていた部分には本来もう一人、聖人の姿が描かれていたことが分かったのですが、残念ながらその大部分は失われており、唯一腕の一部が発見されるに留まりました。恐らく、傷みが激しかったことを理由に、後世の修復では塗り潰すことで解決策を見出したのではないかと思われます。 続いて、クリーニング作業の第二段階に移行します。イオン交換水では除去しきれなかった汚れを除去するためのもので、様々な種類の溶剤の中から何がこの壁画作品にとって最も適しているのかを判断するため、試験クリーニングを行いました。その結果、フレスコ画の保存修復では最も一般的とされる炭酸アンモニウム水飽和溶液が適していると判断し採用することとなったのですが、その用途は様々で、和紙やセルロースパウダーを媒体としたパック法や炭酸アンモニウムをペースト状にして使用するクリスタル法などが挙げられます。同じ作品でも、大きな面積をもつ壁画作品では場所によって壁の性質が微妙に変化します。保存修復士はそうした変化を敏感に察知しながら、同じ材料を使う場合にも使用方法に手を加えながら作業を進める必要があるのです。 こうしてクリーニング作業が終わると、作品は本来の美しい色の発色を取り戻しました。 続いて漆喰層が剥離を起こし、壁の中で空洞を作り出している部分の補強や、亀裂箇所の処置を行います。 壁の中の状況は目には見えませんから、ここでは修復士の経験が大切になってきます。ノック法で空洞が確認できると、その空洞箇所のうちもっとも上部に当たる部分を見極め、細かいひび割れや描画層が剥落している箇所を選んで小さな穴を開け、注射器で充填剤を打ち込んでゆきます。今回は粉末状の軽石と炭酸カルシウムに消石灰を加えたものを充填剤として調合し、本来壁画が持つ成分に限りなく近いものを採用しました。こうした場合、化学樹脂などを使えば便利に作業を進められるのでしょうが、可能な限りオリジナル性を尊重した(=作品に優しい)保存修復を心掛けます。 大きな亀裂を起こしている部分に関しては、1800年代に行われた過去の修復時に塗られた化粧漆喰(充填プラスター)が確認できます。しかし、その作業は非常に大胆なものであり、オリジナルの作品をも覆い隠すように塗られていました。今回は、それら古い化粧漆喰を全て取り除き、新たに塗に直すことにしました。この際、亀裂内部には部分固定法と呼ばれる柔軟性を兼ねた補強処置を施すことに。これは、将来的に壁に動きが生じた場合、大きなダメージに繋がることを軽減させるためのものです。今回はシリコンを用いて亀裂内部の分断された漆喰間を橋渡しさせる形で繋ぎ合わせた後、化粧漆喰で埋める方法を選択しました。化粧漆喰は壁画表面からはみ出さない様に丁寧に仕上げられ、作業後には作品全体の統一感が生まれたのでした。 ここまでが、現時点までに終了した保存修復行程です。来年度には、描画層の全体的な補強と補彩を中心に作業を進め、それと並行して図像学の研究も進める予定をしています。 冒頭でも触れたように、この作品はジャコモ・パッキアロッティという画家によって描かれたとされる作品です。しかし近年の研究により、制作には少なくとも2名以上の画家が関与していることが囁かれていました。そうした情報を頭の片隅に、私も連日この作品と対峙していると、少なくとも3名以上の画家の手が入っているではないかと考えるようになりました。複数描かれている聖人の表情は、場所によってその表現方法や筆の運びが大きく異なるからです。 かつて、大画面に描かれることの多かった壁画は、工房制作として師に当たるマエストロと、その弟子達によって制作を進めるという形式が頻繁にとられました。であれば、複数の画家の痕跡が残っていても不思議ではないのですが、重要とされる人物の顔についてはマエストロが手掛けるというのが一般的でした。しかし、この作品については前述したようにそれぞれの人物によって異なるタッチで表情が描かれています。こうしたケースは、この作品が制作された15世紀頃を考えると非常に珍しいと言えるでしょう。 中でも、画面に向かって聖母子の右隣に描かれた聖パウロと聖イッポリートは、他とは異なる繊細な雰囲気を醸し出していました。一説では、この聖イッポリートの表情がラファエロの自画像に酷似していることから、青年期のラファエロが関与していたのではないかとの噂があります。これに関しては、今後更に研究を進めていかなければ何とも言えませんが、保存修復の進行状況と合わせて詳細が明らかとなり次第、皆さんにもお伝えできればと思います。 最後に、アッシャーノの街ですが、その周辺はクレ―タ・セネーゼと呼ばれる粘土質の土壌が広がり独特な景観を形成しています。今回は仕事終わりに同僚と散歩に出掛けたときに撮影した写真を一枚。トスカーナ州に広がる美しい風景のひとつです。 #
by affresco-bastioni
| 2014-09-27 21:00
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