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前々回の記事の中でお伝えしていた通り、今回はサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会のヴォーティの回廊で行われている保存修復についてお話ししたいと思います。この回廊には15世紀前後に複数の画家の手によって制作された12種類のフレスコ画作品が描かれています。アレッソ・バルドヴィネッティ、コジモ・ロッセッリ、ポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノ…いずれもルネサンス期に活躍した画家達です。 現在修復が行われているのはその中のアンドレア・デル・サルトとロッソ・フィオレンティーノが描いたフレスコ画作品。この回廊内にはアンドレア・デル・サルトが描いたフレスコ画は全部で7作品あるのですが、今回の修復の対象となっているのはその中の『東方三博士の旅』というテーマで1511年に描かれた作品です。この作品は1966年に修復が行われ際、ストラッポ法によって一度壁から剥がされ、パネルの上に置き換えられた状態にあります。その後、約50年が経過した現在、作品の表面には鑑賞の妨げとなる大量の汚れが堆積し、以前より保存修復の必要性が訴えられていました。(下の写真を参照)こうして実現した修復は事前調査を終え、具体的なクリーニング作業と彩色層の補強、そして補彩作業が進められています。 通常フレスコ画で行われるクリーニング作業は、蒸留水で簡単に除去できる汚れを落とした後、漆喰層の厚みを生かしながら使用する溶剤を表面の堆積物にじっくりと反応させる方法がとられますが、今回のように一度壁から分離されパネル上に置き換えられた作品では十分な効果を得ることは難しくなります。その為、気温に注意しながら媒体となる物質に溶剤を染み込ませたものでパックをほどこし、揮発速度を遅らせるための微調整を繰り返しながら反応させる必要が生じるのです。この作業には経験と繊細な感覚が必要とされますが、十分なコントロールができれば写真のようにオリジナルの美しい発色を取り戻すことができます。 クリーニングが終わった箇所を見てみると、過去の修復で補彩され、媒材の経年劣化によりやや変色を起こしていた顔料が綺麗に拭い去られた様子が確認できます。今後行われる補彩作業では、こうした描画層の剥落箇所に再び色が加えられ、アンドレア・デル・サルト特有の繊細な色彩表現が蘇ることでしょう。全ての保存修復作業が終焉を迎えた暁には、またみなさんにご紹介できればと思います。 なお、『東方三博士の旅』の保存修復が終われば、隣接する『聖母マリアの誕生』の修復が始まる予定です。そして、保存修復に必要な費用を確保する関係上直ぐにという訳には行きませんが、最終的にはヴォーティの回廊内全てのフレスコ画作品が輝きを取り戻すこととなるでしょう。その様子はこのブログでも随時レポートしてゆきたいと思います。どうぞお楽しみに!! #
by affresco-bastioni
| 2013-10-15 09:00
| 修復家の独り言
前回のブログでもご紹介したように、この壁画作品は上段部分と下段部分とで保存状態が大きく異なります。 上段部分は保存状態が悪かったことを理由に過去に白く塗りつぶされた時代があり、その後、表面を覆っていた白塗りの層が除去されるものの、その処置過程において描画層を大きく傷付けてしまいます。結果、壁画そのものの性質が変わってしまい湿度による影響を受け易くなってしまいました。痛みはどんどん進行してゆき、1961年には状況を改善させる最終手段として上段部分を壁から剥がし、木製パネルの上に置き換えて保存する方法がとられるのでした。 一方、下段部分に関しては、やはり『最後の晩餐』が描かれていることもあり人々から丁重な扱いを受け、また、幸いなことに雨漏りなど直接的な被害を受けることも無かったことから、描かれた頃の状態を今に伝えています。しかし、何事も無く無事だったかというとそういう訳ではありません。1966年にはフィレンツェを襲ったアルノ川の大洪水の影響を受け、大規模な保存修復が行われたのでした。 さて、今回の調査研究ですが、最後の修復が行われてから40〜50年が経過した現在、上段部分を中心に新たな痛みが確認できることから、保存状態の現状調査と今後の保存管理プランの構築を目的として行いました。その内容とは、大部分を非接触・非破壊で行える『視覚診断』を主軸として、作品全体に渡り調査を実施しました。 実際に足場に登って至近距離から作品の上段部分を観察してみると、過去の修復で補彩された部分は痛みが激しく、1961年の修復時に新支持体として採用された木製パネルも周辺に反りが発生していることが確認できました。 過去の補彩箇所の劣化についてですが、予測できる事としては窓から差し込む光が原因と考えられます。画面に向かって右側には午前中を中心に窓から強い日光が差し込み、今回調査に訪れた7月や8月には壁画表面の温度もかなり高くなります。壁画の保存修復における補彩作業では可逆性を考慮して、顔料にバインダー(アラビアガムやカゼインなど)を混ぜ合わせたもので行いますが、そこに直射日光が降り注げば、当然使用されているバインダーの劣化は進みますし、剥落や変色を起こす原因となります。そのことを裏付けるかのように、日光が届き難い画面左側を観察してみると、かなり良い状態で補彩が残っていました。 木製パネルの反りについては、湿度による影響が考えられます。1年を通じて、木製パネル内の水分含有率には変化が生じ(水分の吸収と放出)、この加湿と乾燥が反りの大きな原因となります。当時一般的に使われていたのはメゾナイトと呼ばれる成型板で、水分を含んだ状態で乾燥すると不均一な収縮や内部応力の残留が発生し、これが反りや亀裂を起こす原因となります。乾燥段階に発生することを考えると、先に述べた日光による壁画表面の高温化も原因のひとつであるといえるかもしれません。 こうした状況を改善させるためには、現在の壁画を取り巻く環境の管理態勢を整えることが解決策のひとつと言えるでしょう。 作品の下段部分に関しては、壁面からの分離を免れているだけあり比較的良好な保存状態が保たれていました。描画層に関しても総合的には安定しているといえるでしょう。しかし、部分的にはジョルナータの接合部分と亀裂箇所とが交わる点を中心にイントナコが剥離しているところもあり、このまま放置しておくのは危険であると判断できる状況も確認することができました。 また、紫外線照射ライト(UVライト)で調査を行ってみると、作品の大部分に過去の修復で塗布されたとみられる合成樹脂の存在を確認することができました。文化財保存修復が大きな発展を遂げた1960〜1970年代は、その扱いが非常に容易であることから合成樹脂が多岐に渡り頻繁に使用された時期でした。しかし、多量に塗布された作品は合成樹脂の皮膜に発生する小さな亀裂によって曇りが生じたり、変色を起こすことで作品鑑賞に支障を来すなど、後に大きな問題へと発展してしまう原因となったのでした。 壁画において合成樹脂を最終的な描画層の補強材として使用した場合、その一部は漆喰の内部へと染み込んでゆきますから、これを後に完全な形で除去することは実質不可能となります。そんな壁画に高濃度な合成樹脂を塗布するとどうなるでしょうか?気孔を塞ぐ原因となり、呼吸ができなくなった壁画は表面のみならず内部からの破壊によって蝕まれてゆくのです。 幸いなことに『最後の晩餐』はそういった深刻な問題は発生していなかったものの、部分的には許容量を大きく上回るとみられる合成樹脂の使用が確認され、観る角度によってはニスが塗られたように光沢を帯びていました。こうした部分も、今後作品を安全に保存・管理してゆくためには適切な処置が必要であると考えます。 旧サンタポッローニア修道院の食道に描かれ、現在上段部分と下段部分に分断されたアンドレア・デル・カスターニョのフレスコ画作品。間近から観るとその繊細な筆のタッチと丁寧な仕事振りを強く感じることができました。今後、少しでも良好な状態を保ちつつ後世にこの偉大な作品を伝えてゆけるよう調査研究を続け、適切な保存管理プログラムの構築を目指してゆきたいと思います。 《告知》 朝日カルチャーセンター中之島教室 講座のお知らせ 講座名:『よみがえる美-壁画修復の世界』 講師:壁画保存修復士 前川 佳文 (まえかわ よしふみ) 日時:9月7日(土曜日) 14:00~15:30 会場:アサコムホール(中之島フェスティバルタワー12階) 住所:〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島2-3-18 ホームページ:http://www.asahiculture.com/nakanoshima/ TEL:06-6222-5222 FAX:06-6222-5221 *お申し込みにつきましては、電話または朝日カルチャーセンター中之島教室ホームページよりお願いいたします。 #
by affresco-bastioni
| 2013-09-01 21:30
| 修復家の独り言
先日、調査研究活動の一環として約1年4カ月振りにフィレンツェを訪れました。比較的過ごし易い日が続いていたと言われていたフィレンツェですが、わたしが到着した日を境に連日40度近い気温を記録しかなり驚かされました。それでも日本に比べると湿度が低いことから不快感は少なく、次第にその環境にも身体が慣れてゆくのでした。 調査研究対象の作品は、フィレンツェの中心街に位置する旧サンタポッローニア修道院の食堂に描かれている壁画です。アンドレア・デル・カスターニョ作『最後の晩餐』と『キリストの磔刑』、『キリストの降架』、『キリストの復活』(1447年)。アンドレアが活動拠点をヴェネツィアからフィレンツェへと移した数年後に手掛けた作品であり、均整のとれた構図や色彩バランス、また、トロンプ・ルイユ(フランス語で『目を騙す』の意)と呼ばれるだまし絵の技法を巧みに取り入れるなど、現在もイタリア美術史において重要な作品として位置付けられています。 この作品の現在における特筆すべき特徴は、画面中央を境にして上段部分と下段部分のコンディションが大きく異なる点にあります。その理由は、約560年前に作品が制作されてから現在に至るまで変わらず壁面に定着し続けている下段部分に対し、上段部分は過去の修復によって一度壁から剥がされ、木製パネルの上に置き換えられている点にあります。当然支持体が全く異なるこの2つの部分には、耐久性や劣化速度には大きな違いが生じますから、次第に作品全体の統一感は損なわれてゆきます。 それではなぜ、この様にひとりの画家の手によって描かれた作品が画面を分割するような形で、また異なる手法によって修復されたのでしょうか?それは過去における「安易な決断」が引き金となっています。1861年のこと、上段部分に描かれた『キリストの磔刑』、『キリストの降架』、『キリストの復活』の部分は、作品に痛みが進行していたことを理由に修復もされないまま消石灰によって白く塗り潰されてしまいます。数十年が経過した後、再びこの作品を取り戻そうと表面を覆っていた白塗りの層を除去することとなるのですが、強く壁画表面と結び付いていたため、かなり乱暴な形で除去作業が行われました。その結果、描画層は酷く痛みその多くが失われる結果となってしまったのです。その後、この上段部分は描画層を多く失ってしまったことから壁画そのものの性質が大きく変化し、湿度による影響を受け易くなってしまいます。1961年、余りに湿度による被害が大きいことから、状態を改善させるためにとられたのが作品を壁面から分離させるという方法。痛みがみられた初期の段階で適切な処置が採られず、安易に「塗り潰す」という選択がなされた結果、100年後に苦渋の決断を余儀なくされたのでした。 ここまで上段部分についてお話ししてきましたが、続いて下段部分である『最後の晩餐』をみて行きたいと思います。この部分は幸いなことに白く塗り潰されることもなく、今日に至るまで誕生当時の姿を留めてきました。大きな災難に見舞われたのは、1966年に発生したアルノ川の大洪水です。この旧サンタポッローニア修道院の食堂にも大量の水が押し寄せ、その影響から湿度による被害が発生したことから大規模な修復が行われました。当時の被害状況を考えると、上段部分と同じように壁から分離するという処置方法がとられなかったことは、奇跡であったといえるかもしれません。 今回は壁画の現状調査を目的とし、表面に堆積した汚れの除去や補彩といった具体的な保存修復作業は行わず、写真による記録撮影や痛みの状態チェックを中心に行いました。一見安定しているように思われる作品も、細部に渡り調査をしてみると様々な場所に新たな痛みが発生していることが分かりました。この現状を目の当たりにし、『壁画の保存管理の在り方』というものについて、今後色々と研究を深めてゆく必要性を強く感じました。詳細につきましては、このブログでも追ってご報告できればと思います。 アンドレア・デル・カスターニョ(1421-1457) 15世紀にフィレンツェ派として活躍した画家のひとり。同時期の有名な画家にはベアート・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ドメニコ・ヴェネツィアーノ、パオロ・ウッチェッロらがいる。彼が持つ独特のスタイルは、マサッチョやドナテッロから影響を受けたもので、先人達の技法を更に発展させた遠近法や明暗表現、また解剖学への追及にも力を注いだ。後に、フェラーラ派のコズメ・トゥーラヤフランチェスコ・デル・コッサ、エルコレ・デ・ロベルティらに影響を与えている。 滞在中には、これ以外にも数か所に渡り保存修復現場を訪れ、現地専門家と多くの意見を交換することができました。その中の一つ。以前このブログでもご紹介させていただきましたが(『実現なるか?!大規模な壁画保存修復!』参照)、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会のヴォーティの回廊では、アンドレア・デル・サルト作『東方三博士の旅』“Viaggio dei Magi”、およびロッソ・フィオレンティーノ作『聖母被昇天』“Assunzione della Vergine”の保存修復が行われています。(以前のブログ記事の中ではアレッシオ・バルドヴィネッティ作『羊飼いの礼拝』“Adorazione dei pastori”と書いておりましたが、修復後に企画されている展覧会のテーマからロッソ・フィオレンティーノに変更となりました)現在はクリーニング作業が行われており、部分的にではありますがオリジナルの輝きを取り戻しつつありました。秋には全ての保存修復工程が修了する予定ですので、こちらに関してもまたみなさんに詳しい情報をお伝えできればと思います。 久し振りに訪れたフィレンツェの街では多くの仲間達と再会を果たし、大好きなフレスコ画作品に触れることができました。今後も少しでも多くの作品をより良い状態で後世に伝えてゆくためにも、研究活動を続けてゆきたいと思います。 《告知》 朝日カルチャーセンター中之島教室 講座のお知らせ 講座名:『よみがえる美-壁画修復の世界』 講師:壁画保存修復士 前川 佳文 (まえかわ よしふみ) 日時:9月7日(土曜日) 14:00~15:30 会場:アサコムホール(中之島フェスティバルタワー12階) 住所:〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島2-3-18 ホームページ:http://www.asahiculture.com/nakanoshima/ TEL:06-6222-5222 FAX:06-6222-5221 *お申し込みにつきましては、電話または朝日カルチャーセンター中之島教室ホームページよりお願いいたします。 #
by affresco-bastioni
| 2013-08-05 21:00
| 修復家の独り言
「ラファエロ」、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」に続いて、今度は『システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展 - 天才の軌跡』と題する展覧会が国立西洋美術館にて開かれます。期間は2013年9月6日(金)〜11月17日(日)。ミケランジェロファミリーの作品を今に受け継ぐ『カーサ・ブオナッローティ財団』”La Fondazione Casa Buonarroti” 協力のもと、普段は同財団がフィレンツェにて運営する博物館内で展示されている作品を含む所蔵品60点が展示されるということです。その中には、ミケランジェロ16歳頃の作品とされる大理石のバッソリリエーヴォ(浮き彫り作品)『階段の聖母』”Madonna della Scala” をはじめ、『システィーナ礼拝堂の天井壁画』や『最後の審判』を制作するための下絵素描なども含まれるとあって、見応え十分な展覧会が企画されているようです。 ミケランジェロ(1475年〜1564年)は、本名を「ミケランジェロ・ブオナッローティ」”michelangelo Buonarroti”といいます。その名は世界的にも有名で、ルネサンスを代表する芸術家のひとりであることは言うまでもありません。ダヴィデ像(フィレンツェ、アカデミア美術館所蔵)やピエタ(ローマ、サン・ピエトロ大聖堂収蔵)といった作品を世に生み出した偉大なる彫刻家でありながら、わたしが壁画保存修復士を目指すきっかけとなったあのシスティーナ礼拝堂のフレスコ画作品といった数々の絵画作品も手掛けるなど、その類い稀な才能から人々は彼を『天才』と呼ぶようになりました。しかし、その性格は気難しく他人を寄せ付けないところがあり、作品制作も弟子に頼らず自らが行うという、天才が故の孤独に苛まれた人生だったようです。 さて、今回はそんな歴史に名を刻むミケランジェロが、当時としては驚異的な88年という生涯を通じて、一番最後に制作した壁画作品についてお話したいと思います。システィーナ礼拝堂に描いた『最後の審判』を1541年に完成させた翌年の1542年のこと。当時の法王パオロ三世より、1540年に建てられたアポストーリコ宮殿内にあるパオリーナ礼拝堂(ヴァチカン市国)へのフレスコ画制作の依頼が舞い込みます。当時67歳になっていたミケランジェロは大きな仕事を終えた直後ということもあり、心身ともに疲労困憊な状態にありましたが、法王からの依頼を断れるはずもありません。こうしてパオロ三世の名に繋がりを持たせた『聖パオロの改宗』”Conversione di Saulo” や『サン・ピエトロの磔刑』”Crocifissione di San Pietro” をテーマとする壁画制作をスタートさせることとなるのでした。 しかし、仕事を引き受けたものの、その作業ペースは、システィーナ礼拝堂を手掛けていた頃とは比べ物にならないほどゆったりしていたといいます。その理由は年齢的なことだけではなく、1544年と1546年には大病を煩い、1545年には礼拝堂を襲った火災により制作途中の壁画がダメージを受けるなど、予期せぬ作業中断を余儀なくされたことも関係していたのでした。こうして、困難を極めたパオリーナ礼拝堂での作業は、全ての制作を終えるまでに7年半の歳月を費やしました。この時点でミケランジェロ74歳。その後、1564年に89歳という年齢で亡くなるまで、彼が壁面に向かって筆をとることは二度とありませんでした。 パオリーナ礼拝堂のフレスコ画作品は、2002年より、ミケランジェロが制作に費やしたのと同じ7年の歳月をかけて大規模な修復が行われ、その輝きを取り戻しました。現在もローマ法王を選出する際に執り行なわれるコンクラーヴェ”Conclave” の日には、枢機卿団がシスティーナ礼拝堂に入る直前に行うミサの会場として使われています。残念ながら一般には公開されておらず、わたしたちがその作品を間近で観る事はできません。しかし、数少ないミケランジェロの壁画作品が、また彼の人生における最後のフレスコ画が、システィーナ礼拝堂以外にもヴァチカン市国にはあるということを、記憶の片隅に留めておいていただければと思います。 展覧会の開催予定期間はまさに『芸術の秋』!!色々な想いを胸に、この展覧会をお楽しみいただければと思います。 #
by affresco-bastioni
| 2013-07-01 21:00
| 修復家の独り言
トスカーナ州の中部に位置し、世界遺産にも登録されている歴史地区を持つ古都シエナ。そこから南東に20km程の距離にアッシャーノと呼ばれる人口7250人程度の小さな街があります。この街の郊外に建つサンティッポーリト教会。そこの主祭壇に今回注目するフレスコ画は描かれています。 この教会に関する文献が残されていないことから、その誕生にまつわる詳しい情報はありません。しかし、1668年にはイエズス会の判断によって公共施設となり教会としての機能を失うと、一時は納屋や農具などの保管庫として使われていたとの記録が残っています。その後、1875年にはマリオ・バルガーリという人物によって買い取られ修復が施されると、個人礼拝堂として本来の機能を取り戻したのでした。この教会は現在も個人所有の建物であり、この理由から長く人々の目に触れることはありませんでした。 さて、この教会の主祭壇に描かれたフレスコ画に関してですが、この作品は『聖母子と聖会話』をテーマとして描かれています。画面中心には王座に座する聖母子が描かれ、その周りには聖ペトロや聖カッシャーノをはじめとする聖人の姿が描かれています。この同一の画面の中に複数の聖人像を描く一緒に描くというスタイルはルネサンス期に生まれたものであり、それまでは多翼祭壇画(ひとつひとつ区切られた画面の中に聖人ひとりひとりを個別に描くスタイル)が主流とされてきました。 1800年代に記された記録によりますと、この作品はジャコモ・パッキアロッティ“Giacomo Pacchiarotti”(1474年~1539年もしくは1540年)と呼ばれるシエナ生まれの画家によって1500年前後に描かれたものとされています。しかし、近年に行われた調査の結果、筆跡や描画手順などからこの作品には少なくとも2名以上の画家が関与していたのではないかということが分かったのです。そこで「もうひとりの画家」として名前が浮上してきたのが青年期の『ラファエロ・サンツィオ』だったのです。 ラファエロといえば以前このブログでもご紹介させていただきましたが、国立西洋美術館におきましては今月の2日まで展覧会が開かれ、連日大勢の人が訪れていたことからも日本におけるその人気振りをうかがい知ることができました。その繊細なタッチや柔らかな人物表現は観るものを惹きつける強い力を持っています。そうした彼のスタイルを踏まえサンティッポーリト教会主祭壇に描かれたフレスコ画をみてみると、円熟期における完成度の高さは無いにせよ、確かに彼独特の表現方法に似たものを感じることができます。もちろん、当時ラファエロの師であるペルジーノに影響を受けた画家は大勢いましたから、似ているからといって専門家による分析なくしてこれを断定することはできません。ただ、「もし本当に彼がこの作品の制作に関与していたとしたら…」そう考えるだけで、わたしなんかはとても嬉しくなってしまうのです。参考までに…下の写真はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されているラファエロの油彩画作品『王座の聖母子と5聖人』です。1504年~1505年に制作されたものですが、背景処理の仕方などどことなく似ていませんか? 続いて、作品の現在の状態について少しお話しすると、決して良いとは言えません。画面には無数の亀裂が走り、描画層については剥落は多くみられます。特にセッコ画法によって描かれたと思われる顔料のアズライト(中央聖母マリアのマント部分)は、その多くが失われてしまっています。また、恐らく作品は一時期白く塗りつぶされていた過去を持つと考えられ、その名残りともいうべき石灰の付着物が所々にみられます。 わたしはこれまで数多くの白く塗りつぶされたフレスコ画作品を修復してきました。その経験からお話させていただくと、作品を塗り潰すための白色顔料としてはグラッセッロ(消石灰)が使用されているケースが非常に多いといえます。しかしこれが大きな問題で、このグラッセッロは最終的にフレスコ画の主成分と同じである炭酸カルシウムに変化してしまいますから、壁画表面と強く結び付いてしまうのです。これを機械的に処理するとなれば、何らかのダメージが作品上に残ってしまうことは容易に想像していただけるかと思います。 サンティッポーリト教会の主祭壇壁画を観てみると、まさにこれと同じことが起こっているように思われます。聖人が身にまとうマントを観察してみると、本来描かれていたであろう布のボリューム感を出すための明暗表現が失われてしまっています。想像するに、これは過去の修復においてフレスコ画表面を覆っていた白色顔料をかなり乱暴な形で剥ぎ取ってしまった結果、描画層表面が削り取られてしまったのではないかと考えられるのです。もしそうであったとすれば、確かにこの作業は神経を使う難しいものではあるのですが、もう少し慎重に作業が進められていれば、これ程にまで大きな痛みを被ることは無かったのではないでしょうか。 このフレスコ画は今後の作品保存を考えるうえでも、ラファエロの関与事実を研究するうえでも、保存修復作業を実施する必要性があります。一日も早く安全な状態が確保され、イタリア美術史における有意義な研究が進められることを心から祈りたいと思います。 最後に、以前このブログで書かせていただいた記事、『実現に期待!ヴォーティの回廊のフレスコ画』、『実現なるか?!大規模な壁画保存修復!』ですが、無事執り行われることとなりました。(というか、実際に始まっています)鮮やかに蘇ったヴォーティの回廊のフレスコ画を観るのが今からとても楽しみです!! #
by affresco-bastioni
| 2013-06-04 21:00
| 修復家の独り言
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