フレスコ画研究所 バスティオーニ -番外編-
2015-08-04T10:59:24+09:00
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壁画保存修復士 & 作家の "前川佳文" が、フレスコ画・壁画修復、技法に関する情報を中心にお届けします!!
Excite Blog
アッシジ インターネット寄付金による保存修復
http://affresco.exblog.jp/24329798/
2015-07-25T20:30:00+09:00
2015-08-04T10:59:24+09:00
2015-08-04T10:56:59+09:00
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修復家の独り言
今回はこの下部聖堂に関するお話です。下部聖堂はエジプトの十字架、またはT字型十字架(タウ十字架)と呼ばれる様式を持ち、身廊の両脇には複数の礼拝堂が隣接して設けられています。聖堂の壁は13世紀から16世紀に描かれた壁画で埋め尽くされており、そのうちのひとつ、サン・マルティーノ礼拝堂に描かれた「聖マルティヌスの生涯」(Storia della vita di San Martino)をテーマとするフレスコ画はシモーネ・マルティーニ(Simone Martini)によるもので、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
広大な空間を有する下部聖堂に描かれた壁画群。しかし、近年その傷み具合が懸念され保存修復の必要性が指摘されるようになりました。私も今年の3月にこのサン・フランチェスコ大聖堂を訪れこれらの作品を見てきましたが、同様の印象を受けました。
現在注目されているのは、1368年にサンタ・カテリーナ礼拝堂に描かれたアンドレア・デ・バルトリ(Andrea de’ Bartoli)による作品と、1623年、礼拝堂前にのびる拝廊にウンブリア派の画家チェーザレ・セルメイ(Cesare Sermei)によって描かれた作品です。しかし、保存修復に必要となる費用を工面できず難航していたこの事業。打開策として掲げられたのは、インターネットを通じて資金を世界中から募ろうというものでした。修復が必要とされる壁画の総面積は、おおよそ620㎡。(図参照)目標と掲げる目標金額は、日本円にして6千万円を超えるとされています。今年の3月からI frati del Sacro Convento(直訳:聖なる修道院の修道士‐広報等担当部署)始められたこの試みは、着々と成果をあげているようです。
下部聖堂において保存修復が予定されているおおよそのエリア図
修復の主な目的を見てゆくと、アンドレア・デ・バルトリの作品は、おおよそ基本的な壁画保存修復の処置過程を全て駆使して行う必要があると考えられています。また、約40年前の修復で行われた補彩箇所の多くは変色を起こし、作品の統一感を損ねる要因となっているため、適切な処置が求められています。
一方、チェーザレ・セルメイの作品は、主に天井破損箇所から侵入したと思われる雨水の影響により、塩類の析出やそれに伴う染みが画面の至るところに見られます。また、そうした症状が見られる場所には起こり易い漆喰の剥離や凝集力の低下が発生しています。これは前回のブログ記事『バガン遺跡群 保存の未来』でも触れた症状に酷似しているといえるでしょう。この他にも、過去の修復時に塗布された定着剤が変質を起こし、作品本来がもつ発色を著しく低下させていることも確認されているので、一連の作業工程には除去作業も含まれることとなります。
アッシジといえば、1997年にウンブリア州およびマルケ州を襲ったイタリア中部地震が記憶に新しい方もいらっしゃるのではないでしょうか。サン・フランチェスコ大聖堂の上部聖堂では、チマブエや若き日のジョットが描いた天井壁画の一部が崩れ落ちる映像がニュースで繰り返し映し出されていました。当時この下部聖堂はというと、モニタリング調査の結果、深刻な傷みが確認されなかったことから本格的な修復作業が行われることはありませんでした。フランシスコ会の総本山でもあるこの地は、毎年世界中から数多くの観光客が訪れます。また、であるからこそ、そこに所蔵される美術作品の修復となると熱い視線が注がれます。近年、大聖堂内で行われた壁画の保存修復では、その仕上がり具合が作品本来の美しさを損ねるものであったとの強い批判が度々起こっています。今後、本格的な作業が開始されるであろうこの一連の保存修復事業に、一壁画保存修復士として色々な意味で注目してゆきたいと思います。
『修復予定のサンタ・カテリーナ礼拝堂の様子』*動画が再生されます。
『保存修復への寄付金を募るホームページ』*サイドバーより、傷みに蝕まれた壁画の画像もご覧いただけます。
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バガン遺跡群 保存の未来
http://affresco.exblog.jp/24228917/
2015-06-20T21:00:00+09:00
2015-07-09T11:34:40+09:00
2015-07-09T11:32:14+09:00
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修復家の独り言
前回のブログ記事『再びミャンマーへ。壁画保存の為の雨漏り対策』の中でも触れましたが、バガン遺跡群に建つパゴダに共通してみられる問題「雨水の侵入と、それに伴う壁画の崩落」。今回は、No.1205寺院内で確認された天井漆喰層の剥離箇所の処置を重点的に行いました。
天井部分における漆喰層の剥離。この状況を処置するに当たり注意すべき点は、下方に向かってかかる重力にあります。例えば、支持体との隙間を埋めるために多くの充填剤を注入してしまうと、その重量が負担となり落下してしまう危険を伴います。壁画に用いられる漆喰層は例え薄く仕上げられていても、広面積となった場合その総重量はかなりのもとなります。それらが剥離を起こしているとき、例え重量の軽い充填材料を選んだとしても負担になることは否めません。また、剥離が起きている隙間内部を目視で確認することは特殊な機材でも使わない限り不可能ですから、充填剤が支持体と漆喰層を十分に繋ぎ止める効果を発揮しているかを確認することはできません。更に、通常隙間内部には埃など異物が堆積していることが多く、これらを十分に除去することができなければ、充填剤に幾ら接着力を持たせたとしても、理想的な効果は得られないのです。
これらを考慮して、今回は部分固定法と呼ばれる修復方法を採用し、剥離している漆喰層と天井支持体を繋ぎ止める処置を行いました。その方法とは、剥離している漆喰と、その下にある支持体(今回の場合は煉瓦)に直径1.5mm程度の穴を開け、支柱となる棒を複数箇所設置し、天井支持体と漆喰層を固定するというものです。こうする事で支柱は、吊り金具のような役割を果たしてくれます。また、この部分固定法の利点はもうひとつ、先にも書いた充填剤の重量を緩和する役割も果たしてくれるのです。
なお、支柱の固定には現地でも容易に入手可能な酢酸ビニル樹脂を採用しました。一連の保存修復技術は全て、ミャンマーで問題なく継続的に使用可能なものでなくてはなりません。決して最適であるからといってその国で入手困難なものを海外から持ち込み、事業が行われる期間限定の特別仕様であってはならないのです。もちろん、現地の専門家には「本来であればこういう材料があり、こういう使い方をするのが最も適していますよ」という事は伝えます。しかし、現時点において無理なく適切な処置ができる技術を的確に伝えることこそが、本事業において最優先すべき事ではないかと私は考えます。
上の写真は、実際に部分固定法を使って処置を行った天井です。実はこのアーチ状になった天井全体が剥離を起こしており、一番高い中央部分に向かって左右からのびる漆喰層同士が力学的に支え合うことで辛うじて崩落を免れている状況でした。仮にこの天井が平らなものであれば、既に失われていたことでしょう。写真をご覧いただくと、2箇所が大きく剥落し、屋外から流れ込んだ雨水によって壁画の表面が洗い流されている様子が確認できると思いますが、この雨水こそが漆喰層の裏面に流れ込み支持体との接合力を著しく低下させ、剥離を招いた原因であると考えられます。適切な場所を選定し設置した支柱の数は約30本。今回の処置を行う前には触れると天井全体が波打つように動いていたものが、処置後にはしっかりと天井支持体に固定されました。
また、この部分の雨漏りの原因と考えられる場所を特定し、外壁の応急処置も行いました。煉瓦の老朽化に伴い出来た大きな穴を塞ぐことで、雨水の侵入経路を遮断することができました。
また、今回の滞在中には、寺院の2箇所に設けられている出入り口に鉄製の扉を設置しました。ミャンマーにおけるパゴダは「釈迦の住む家」と考えられる神聖な場であり、中には仏像が祀られていることが多く、その前に花が手向けられている光景をよく見ます。本来は信者が自由に出入りし祈りを捧げる場でなくてはならないパゴダに扉を設置する主な目的は、内部環境の保存にあります。近年バガンでは観光客の数が増え続けています。それに伴い、パゴダ内部には心無い落書きや破壊行為が増えており、これらを防ぐ手立てとして、また、鳥や獣の侵入を防ぐ狙いもあります。こうして、壁画が残されているものなど、重要と位置付けられるパゴダには扉が設置されるようになりました。
こうした保存への取り組みを文化財保存の一専門家としてみた場合には、正しい取り組みではないかと思います。しかしその一方で、「これまでこの地を守り続けてきた現地の人々の目にはどのように映っているのだろうか」ということを考えます。ユネスコも加わり世界遺産登録に向け急速に整備が進められるバガン。ある意味、海外の様々な国が出入りしている現状は特殊であるといえるでしょう。以前『文化財保存に対する意識』でも触れましたが、専門家だけで文化財を守り続けて行くことはできません。やはり、その地に暮らす人々の関心と理解を得ながら進めてゆくことが、バガンの未来にとって重要であると考えます。ならば、どうすれば良いのか…現時点においてまだ明確な答えは見付かっていません。大好きな壁画を守るだけでなく、文化財保存の本質をみつめながら今後の活動に取り組んで行きたいと思います。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの流れを汲む画家『ソドマ』
http://affresco.exblog.jp/24222129/
2015-05-20T21:00:00+09:00
2015-07-08T07:24:48+09:00
2015-07-07T13:54:06+09:00
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修復家の独り言
生涯を通じて多くの時間をシエナで過ごしたソドマですが、ローマでも活動しています。1508年、教皇ユリウス2世からはバチカン宮殿の『署名の間』への製作を依頼されていますから、画家としての評価が高かったことが伺えます。ここで、「『署名の間』といえばラファエロが製作したのでは?」と、思われた方がいらっしゃるのではないでしょうか。その通り、有名な『アテナイの学堂』や『聖体の論議』が描かれている部屋が『署名の間』です。実は、ソドマが製作した作品をみた教皇はその出来栄えが気に入らず(ジョルジョ・ヴァザーリ談)改めてラファエロに依頼。既に描かれていたソドマの作品は剥ぎ取られ描き直されたとのエピソードが残っています。
一度はシエナに戻るソドマでしたが、再びローマでの仕事の依頼を受け舞い戻っています。銀行家だったアゴスティーノ・キージによって建てられた「ファルネジーナ荘」において、キージの寝室の壁に描いた作品『アレクサンドロスとロクサネの婚礼』(1519年)は素晴らしい作品のひとつと言えるでしょう。ちなみにこのファルネジーナ荘にあるガラテアの間には、ラファエロの代表作『ガラテアの勝利』(1509~1512年)も描かれています。ローマを訪れる際には是非お立ち寄り下さい。
そんなソドマがシエナに移り住んでから数年後に描いた代表作が、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院(ベネディクト修道会属)の大回廊に描かれています。先月のブログ記事の中で触れた壁画はアッシャーノという街に描かれていますが、そこからこの修道院へは距離にして約10km、車で約15分の所にあります。私はよくその途中にあるキウスーレ(Chiusure)という街のレストランに食事に行っていたのですが、高台にあるこの街から見下ろせば、このモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院が目に飛び込んできます。写真の様に緑に囲まれた中に佇むこの修道院が私は大好きで、休日になれば足を伸ばし回廊に描かれた壁画を眺めるのがリラックス方法のひとつでした。
この回廊の壁画は『聖ベネディクトの生涯』をテーマに描かれたもので、全部で36の場面から構成されています。もともとはルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli)が仕事の依頼を受けて壁画の製作を始めたのですが(1497~1498年)、更に重要なオルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂への壁画製作依頼を受けて中断。それを引き継ぐ形で筆をとったのがソドマでした。1505年から描き上げたのは実に27の場面。(ルカ・シニョレッリが8場面、バルトロメオ・ネローニが1場面[1540年製作])ソドマ独特の色彩と筆遣いで描かれた作品は、登場人物の表情も豊かで見る者を飽きさせません。こうした個性的ともいえる表現は、彼が使った技法に秘密が隠されているのではないかと私は考えています。フレスコ画の特徴のひとつである透明感を持った色彩とは異なり、深みのある印象を受けるソドマの色遣い。そこには、純粋なフレスコ画技法だけではなく、油彩画やテンペラ画といった異なる技法が混合技法として取り入れられている点にあると思われます。
ここでエピソードをひとつ。ソドマがシエナに活動の場を移す前の1498年、彼が21歳の頃。実はミラノで生活していた時期があります。当時のミラノといえば、そう、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが『最後の晩餐』を仕上げていた時期に当たります。レオナルド・ダ・ヴィンチがフレスコ画技法を嫌い、油彩画やテンペラ画で壁画を製作していた事は有名な話ですが、そんなレオナルドの元をソドマが訪れていたとしたら…その製作スタイルから何かを学んでいたとしても不思議ではありません。事実、ソドマの描いた作品がレオナルドの作品ではないかと勘違いされていたこともあり、大きな影響を受けていたことに疑う余地もありません。こうした事を考えると、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院での壁画製作に、レオナルドから学んだ混合技法が取り入れていたとしても、ごく自然な流れであったといえるでしょう。
この様に、製作スタイルと歴史の流れを組み合わせてみてゆけば、色々と面白いことが見えてきます。こうした事も、壁画保存修復に携わる者の楽しみのひとつと言えるかもしれません。
モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院は、決してアクセスの良い場所にあるとはいえません。しかし、機会があれば是非、このレオナルド・ダ・ヴィンチからの流れを汲むソドマや、ミケランジェロに多大なる影響を与えたルカ・シニョレッリの壁画作品を鑑賞しに訪れてみて下さい。修道院を取り囲む環境が、回廊の空間が、そして、そこに描かれている作品群が、あなたを異世界へと誘ってくれることでしょう。]]>
文化財保存に対する意識
http://affresco.exblog.jp/24196552/
2015-04-20T20:00:00+09:00
2015-07-01T10:28:42+09:00
2015-07-01T10:28:42+09:00
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修復家の独り言
前回の作業から約5ヶ月が経過しましたが、特に大きな問題点は確認されず、個人的に一番懸念していた大きな亀裂の処置箇所も安定していました。壁画における亀裂箇所は、長年に渡り外気に触れていたものを修復によって閉じることで作品状態を大きく変化させてしまうことになります。それにより、壁が呼吸を繰り返す中で思わぬ染みが発生したり、周辺部分に亀裂が生じたりすることがあるのです。今回、広い部分では亀裂幅が2~3cmありましたから、作品状態の変化は大きくなるといえます。この様な理由から、私の不安材料のひとつとなっていたのでした。良好な経過状況が確認できたことを受け、当初の予定通り今年の夏には彩色層の全体的な補強と補彩作業を中心に作業を行う予定です。
今回の滞在の主な目的は、先にも書いた様に地元中高生を対象に行う特別講義にありました。現実的なお話として文化財というものは、現在の様に保存修復事業が動いている間は何かと注目されますが、ひとたび終焉を迎えると注目度は一気に下がり、見向きされなくなってしまう事が多いといえます。それは、専門家の目が行き届かなくなる事でもあり、早期に適切な処置を行えば回避できる問題点を見落としてしまう事にも繋がってしまいます。
そこで重要となってくるのが、身近に暮らす人々による作品管理です。「作品管理」というと大仰に聞こえるかもしれませんが、この場合それは作品に対して関心を持つことと言いかえる事ができます。例えば、専門家でなくとも身の回りにある文化財に関心をもつことで意識がそこに向かい、何か異変が起これば気付く可能性が高まります。今回の講義では、「壁画はどのようにして描かれているのか」また、「現在行っている保存修復とはどういったものか」、「何を目的としているのか」をテーマにお話させていただきました。学生達は興味深く講義に参加してくれて、最後に設けていた質疑応答にも積極的に参加してくれていました。
数十人程度が参加した小さな講義ではありましたが、こうした取り組みが少しずつ広がり、大きな効果をもたらしてくれるのではないかと期待しています。これは、特定の地域に限られたものではなく、全世界の文化財を所有する全ての地域に共通していえることではないでしょうか。文化や宗教の違いから様々な捉え方がなされる文化財。その価値や重要性を適切に理解し、同じ意識を持って対峙してゆくことができれば、今以上に良好な保存環境が確立されてゆくのではないかと考えます。
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再びミャンマーへ。壁画保存の為の雨漏り対策
http://affresco.exblog.jp/23727769/
2015-02-25T18:00:00+09:00
2015-02-28T19:56:19+09:00
2015-02-28T19:56:19+09:00
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修復家の独り言
今回は前回の調査結果をもとに、バガン遺跡群内に建つNo.1205寺院の内壁に描かれた壁画の損傷箇所に応急処置を施すことが目的でした。処置を始める前の状態はというと、約40年前から複数回に渡り修復の手が入っているのですが、その時々に使われていた修復材料が異なることから壁画が本来持つべき統一感が損なわれていました。また、使われている修復材料が不適切であったことが理由で発生したと考えられる傷みが複数箇所にみられ、その中には現在進行中のものも確認されました。
こうした状況から、今回の作業では古い修復材料の除去と、新しい修復材料の選択、そして、崩落の危険性がある箇所への処置が主な内容となりました。当然の事ではありますが、私達がこうした保存修復事業に関わるのは一時的なものであり、将来的にはミャンマーの専門家が引き継いでゆかなくてはならないものです。ですから、今回の修復材料を選択するに当たっても、オリジナルの壁画の性質を考慮したうえで全て現地調達できるもので作業を進める事に。ですから、漆喰を調合する上で必要となる川砂も、近くを流れるエーヤワディー川(旧称イラワジ川)のほとりまで採取しに赴き、綺麗な水で何度も洗い天日干ししてから使用する手順を選択しました。
また、約3000基ともいわれるパゴダ(ミャンマー様式仏塔)に共通してみられる深刻な問題のひとつである雨漏りについても、今回は詳しく調査することができました。パゴダの屋根に登り確認したところ、組まれた煉瓦が所々破損していることが分かったのです。雨期のあるミャンマーでは、5月から10月にかけて大量の雨が降ります。この雨水がこの破損箇所から流れ込み、内部に描かれた壁画を蝕む大きな要因となっているのです。今後は、この破損箇所の処置も視野に入れた保存修復計画を進めてゆく予定です。
それに伴い必要と考えられる足場についても調査を行いました。日本や欧米諸国では金属製が当たり前の足場ですが、ミャンマーでは竹組の足場が主流です。その安全性や快適性を確認すべく、現在設置されている足場に登らせてもらったのですが、想像以上に頑丈で安定していることに驚かされました。金属製の足場と竹組の足場とでは、そこにかかる費用も大きく異なるため経費の削減にも繋がりますし、今後は、この竹組の足場を活用しながら屋根の保存修復を実施できればと考えています。
調査を行っている最中、床タイルの修理工事が行われている現場に遭遇したのですが、恐らく作業をしている方のお子さんだと思われます。まだまだ小さいのに、重たい金槌片手にお手伝いしようとしていました(笑)こうしてお父さんの背中を見て、立派に育ってゆくのでしょうね。急速に発展を続けるミャンマー。この子達が大人になる頃には、いったいどんな国になっているのでしょうか・・・
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本年もよろしくお願い致します。
http://affresco.exblog.jp/23683702/
2015-01-01T12:00:00+09:00
2015-02-17T17:15:35+09:00
2015-02-17T17:08:33+09:00
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修復家の独り言
昨年も壁画保存修復活動を通じて、様々な分野の方々と知り合うことができました。お世話になった方々、この場を借りて厚く御礼申し上げます。今年も昨年に引き続き、日本国内外の壁画を対象に保存修復および研究活動を展開してゆく予定です。そして、少しでも多くの方々にご関心を持っていただけるような情報を発信してゆきたいと思いますので、何卒よろしくお願い致します。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
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現地保存を可能とした修復技術の40年後
http://affresco.exblog.jp/23435024/
2014-12-12T21:00:00+09:00
2014-12-15T16:14:47+09:00
2014-12-15T16:12:59+09:00
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修復家の独り言
少し作品にまつわる保存修復の歴史をお話しましょう。この壁画は1967年の時点で多大なるダメージを受けていました。背景は後世の修復によって度重なる加筆が施され、表面には塩やカビが大量発生していたのです。こうした症状を改善させようと1967年から1974年にかけ、壁画保存修復士ディーノ・ディーニ氏とフィレンツェ大学のエンツォ・フェッローニ氏が協力し、新たな保存修復技術の開発が始まります。そして、数々の実験研究を繰り返し完成されたのが『アンモニウム&バリウム法』でした。この技法は、それまでの壁画保存修復技術とは一線を画した画期的なものでした。
それは、可溶性塩を不溶性塩に変え、かつ彩色層の凝集力を復活させるものでした。この方法が開発されると、それまで塩の発生により彩色層に傷みを抱えるフレスコ画の多くはストラッポ法によって壁から剥がされることが常であった状況から脱し、制作されたオリジナルの壁面に留める形での修復が可能となったのでした。
2011年にこの磔刑図の保存管理プロジェクトが始まると、非破壊での分析調査も並行して実施され、壁画制作時における技法や保存状態のチェック、また進行中と判断できる傷みの確認が行われました。その結果、1970年代に行われた修復は全体的な保存という面において、非常に良い状態が保たれている事が分かったのでした。これは、前述した革新的な修復方法が着実に効果を発揮していることを裏付けるものでした。
それでも、予防策に乏しい金箔使用箇所や修復による加筆箇所の老朽化、および塩の発生に伴う微細な彩色層の剥離が発生していることが分かりました。これ等の症状は、通常保存管理で行われる軽いクリーニングや補強作業では対処できるものではなく、各症状の改善に向けた対処法を導き出すべく数々のテストが繰り返されました。そして、2013年よりそれまでの保存管理に引き続き、本格的な保存修復が開始されたのでした。作業行程の中では、40年前に行われたあの『アンモニウム&バリウム法』も再び採用され可溶性塩や彩色層の剥離といった問題点も解消されました。その結果、現在はフラ・アンジェリコが描いた当初の神聖な輝きを取り戻しています。
今年も壁画保存修復の世界を通じて、多くの人々や作品との出会いがありました。また、このブログにも沢山の方々に訪れいただき、心より嬉しく思っております。2015年も引き続き壁画の研究を続ける傍ら、少しでも多くの作品を救うべく活動を展開して行きたいと思います。そして、壁画の世界や保存修復の世界を皆さんにお伝えして行けるよう発信して参りますので、どうぞよろしくお願い致します。
皆様にとって2015年が素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
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戦火から街を救った壁画『キリストの復活』
http://affresco.exblog.jp/23407820/
2014-11-25T21:00:00+09:00
2014-12-08T14:22:28+09:00
2014-12-08T14:22:28+09:00
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修復家の独り言
そんなピエロ・デッラ・フランチェスカのもうひとつの代表作『キリストの復活』が修復されることとなりました。この壁画作品は彼の生まれ故郷でもあるサンセポルクロの街の市立美術館に描かれています。フレスコ画技法とセッコ画法の混合技法で描かれており、今日に至る約5世紀もの間、本格的な保存修復がなされたことはありませんでした。しかし今回、この作品の表面に白く不透明な染みのようなものが確認され、彩色層や漆喰層に剥離箇所が確認されたことから本格的な保存修復が行われることとなりました。もちろん、こうした傷みはここ最近になり突発的に現れたものではなく、以前からも修復の必要性が囁かれていたのですが、費用面での問題もありなかなか実現にまでは結び付いていませんでした。そんな時、スイス在住のアルド・オスティ氏(83歳)より日本円で3千万近い寄付が寄せられることとなったのです。オスティ氏はピエロ・デッラ・フランチェスカのこの素晴らしい作品を未来の人々にも伝えたいという強い想いから今回の決断に至ったそうです。
また、この保存修復事業決定の際に開かれた記者会見では、サンセポルクロの市長ダニエラ・フルッラーニ氏より、「ピエロは第二次世界大戦中に、空襲からサンセポルクロの街を救ってくれた。今回は、私達がその恩返しをする時である」とのコメントがありました。それは、大戦中にサンセポルクロ空爆を計画指揮していたイギリス軍のキャプテン、トニー・クラークが、作家オルダス・ハクスリーが自身の著書の中で、“ピエロ・デッラ・フランチェスカの描いたキリストの復活は、世界で最も美しい絵画である”と記していたことを記憶していたことから中止の命令を下したというエピソードに由来します。
今日に至るまで、様々な人の心を鷲掴みにしてきたピエロ・デッラ・フランチェスカの代表作。保存修復はフィレンツェ国立修復研究所とアレッツォ美術監督局により、約1年半の計画で進められていますが、作業中にもその様子を訪れる人々が見学できる形がとられています。サンセポルクロへはアレッツォからバスで1時間の距離。イタリアを訪れられる際には是非、このトスカーナ州にひっそりと佇む小さな街を訪れてみてはいかがでしょうか。
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届け、研究者の強い思い
http://affresco.exblog.jp/23228812/
2014-10-25T20:00:00+09:00
2014-11-05T09:05:20+09:00
2014-11-04T13:49:03+09:00
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修復家の独り言
もともとは女神ヴィーナスを祭るために建てられた建物が、キリスト教の普及に伴い教会として洗礼を授け直されたのは15世紀半ばのことです。一説では、当時猛威を振るっていたペストを鎮める役割を担う教会として、多くの巡礼者が訪れていたそうです。そんな教会の中には、ジャコモ・ディ・ニコラ【Giacomo di Nocola】という画家によって1459~1460年に描かれた壁画が壁面を覆っていました。
そんなサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会に描かれた壁画ですが、現在は大きく変わり果てた姿にあります。その大半が上塗りされた塗料や漆喰によって塗り潰されているのです。その主な原因は、なんと皮肉なことにも、本来この教会に訪れる人々が祈りを捧げていたであろうペスト鎮静への思い。そのペストが17世紀に再流行し、それを除菌する為だったのです。かつてイタリアでペストが猛威を振るっていた頃、このペスト菌対策として、漆喰をこねる時に使用される消石灰がもつアルカリが大きな除菌効果を持つとして、壁という壁が白く塗られたことがありました。この教会も然り、美しく壁面を覆っていた壁画群は、無情にも全て塗り潰されてしまったのです。
1931年のこと。偶然にも壁の中から壁画の一部が発見されます。金銭的な問題などもあり、当時はその一定区画のみが修復対象とされるも、その後、作品の全貌が明らかとされることはありませんでした。それでも、今日に至るまでに繰り返し行われた改修工事のたびに漆喰が塗り重ねられ、その時代その時代ごとに描かれたスタイルの異なる作品の存在が明らかとなったのでした。
現在この教会は、壁を伝い登る強い湿気の影響を受け、深刻な傷みを抱えています。この状態を改善させ、保存に向けた活動を展開してゆこうとする動きがここ最近になり生まれてきました。その背景には、長年に渡りこの教会を研究して来られた一人の研究者の強い思いがありました。マリオ・ヴェルドゥッチ氏。彼が記した一冊の本には、この教会が持つ歴史的重要性がこと細かに書き記されており、多くの人の心に訴えかけたのでした。現在わたしも、微力ながらこの教会の壁画の保存修復に向けて何か出来ることはないかと試行錯誤を繰り返しております。いつの日か、みなさんに良い形でのご報告ができるよう取り組んでゆきたいと思います。]]>
小さな街アッシャーノのフレスコ画
http://affresco.exblog.jp/23088332/
2014-09-27T21:00:00+09:00
2014-10-10T10:23:13+09:00
2014-10-09T15:58:39+09:00
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修復家の独り言
この保存修復事業は、『公益財団法人 住友財団』が行っている「海外の文化財維持・修復事業助成」を受けて実施しているもので、今年は2年事業計画のうちの1年目に当たります。修復対象となっている作品は、15世紀前後にジャコモ・パッキアロッティという画家によって描かれたとされるフレスコ画で、《聖母子と聖会話》(Madonna col Bambino in trono)をテーマに描かれています。『聖会話』という題材は、イタリアルネサンス期に生まれた様式で、キリスト教における聖像様式のひとつです。作品画面上に聖人達を一堂に描いた構図を指してこう呼びますが、この様式が誕生するまでは、多翼祭壇画として複数の聖人を個別に描くことが一般的とされていました。
この作品の調査をはじめて行ったのは2012年のこと。高さ5m、幅7mの壁画作品は、様々な種類の傷みによって蝕まれ、過去に行われたと考えられる修復箇所も、その杜撰な処置の仕方によって外観美を損なう大きな要因のひとつとなっていました。綿密な保存修復計画を立て、2014年の8月下旬より他2名の壁画保存修復士と共に現地入りしたのですが、足場を組んでもらい至近距離から見る作品は想像以上に傷みが激しく、幾つかの保存修復計画を変更せざるを得ない状況にありました。その中でも私達を大いに落胆させたのが、漆喰層の内部で起きている剥離箇所の多さでした。壁画表面をノック法と呼ばれる方法で探ってみると、至る所で漆喰が剥離していると判断できる空洞音が鳴り響き、見た目以上にこの壁画の傷みが進行していることが分かりました。
事前調査から得られた情報や、実際に足場に登り作品に触れながらの状態調査の結果が整理できたら、いよいよ本格的な保存修復作業へと移行してゆきます。段階に沿って簡単に解説してゆきましょう。
まず最初に行ったのが、柔らかい刷毛を用いた壁画表面への付着物除去作業です。この時、事前調査の段階で描画層の劣化が箇所されていた場所は避けながら作業を進め、事前補強作業として劣化部分の接着力を増強させる処置を行います。この処置を怠れば、刷毛からの圧力で、弱った描画層は全て失われてしまうのです。
刷毛による除去が可能な表面の付着物を拭い去り、描画層が安全な状態になったことが確認できたら、今度はイオン交換水を用いてクリーニング作業の第一段階を行います。竹串の先にコットンを巻き付けたものに水を染み込ませ、壁画表面に圧力をかけ過ぎないように注意しながら汚れを除去してゆきます。これは、作品に使用されている顔料の種類によっては、画面定着率が低下しているものや、バインダーを用いたセッコ画法で描かれている部分が含まれている可能性があるからです。コットンに顔料の溶解による付着物がないかを慎重にチェックしながら、約35㎡の壁面をクリーニングしてゆきました。
その最中、壁画の左右に描かれた緑色のカーテンや最下層部に描かれた装飾がオリジナルではなく後世の時代に描き加えられたものであることが判明しました。調査を進めてゆくと、部分的にその下にはオリジナルの描画層が残っていることが判明し、急遽、加筆部分の除去作業を行うこととなりました。その結果、画面右端のカーテンが描かれていた部分には本来もう一人、聖人の姿が描かれていたことが分かったのですが、残念ながらその大部分は失われており、唯一腕の一部が発見されるに留まりました。恐らく、傷みが激しかったことを理由に、後世の修復では塗り潰すことで解決策を見出したのではないかと思われます。
続いて、クリーニング作業の第二段階に移行します。イオン交換水では除去しきれなかった汚れを除去するためのもので、様々な種類の溶剤の中から何がこの壁画作品にとって最も適しているのかを判断するため、試験クリーニングを行いました。その結果、フレスコ画の保存修復では最も一般的とされる炭酸アンモニウム水飽和溶液が適していると判断し採用することとなったのですが、その用途は様々で、和紙やセルロースパウダーを媒体としたパック法や炭酸アンモニウムをペースト状にして使用するクリスタル法などが挙げられます。同じ作品でも、大きな面積をもつ壁画作品では場所によって壁の性質が微妙に変化します。保存修復士はそうした変化を敏感に察知しながら、同じ材料を使う場合にも使用方法に手を加えながら作業を進める必要があるのです。
こうしてクリーニング作業が終わると、作品は本来の美しい色の発色を取り戻しました。
続いて漆喰層が剥離を起こし、壁の中で空洞を作り出している部分の補強や、亀裂箇所の処置を行います。
壁の中の状況は目には見えませんから、ここでは修復士の経験が大切になってきます。ノック法で空洞が確認できると、その空洞箇所のうちもっとも上部に当たる部分を見極め、細かいひび割れや描画層が剥落している箇所を選んで小さな穴を開け、注射器で充填剤を打ち込んでゆきます。今回は粉末状の軽石と炭酸カルシウムに消石灰を加えたものを充填剤として調合し、本来壁画が持つ成分に限りなく近いものを採用しました。こうした場合、化学樹脂などを使えば便利に作業を進められるのでしょうが、可能な限りオリジナル性を尊重した(=作品に優しい)保存修復を心掛けます。
大きな亀裂を起こしている部分に関しては、1800年代に行われた過去の修復時に塗られた化粧漆喰(充填プラスター)が確認できます。しかし、その作業は非常に大胆なものであり、オリジナルの作品をも覆い隠すように塗られていました。今回は、それら古い化粧漆喰を全て取り除き、新たに塗に直すことにしました。この際、亀裂内部には部分固定法と呼ばれる柔軟性を兼ねた補強処置を施すことに。これは、将来的に壁に動きが生じた場合、大きなダメージに繋がることを軽減させるためのものです。今回はシリコンを用いて亀裂内部の分断された漆喰間を橋渡しさせる形で繋ぎ合わせた後、化粧漆喰で埋める方法を選択しました。化粧漆喰は壁画表面からはみ出さない様に丁寧に仕上げられ、作業後には作品全体の統一感が生まれたのでした。
ここまでが、現時点までに終了した保存修復行程です。来年度には、描画層の全体的な補強と補彩を中心に作業を進め、それと並行して図像学の研究も進める予定をしています。
冒頭でも触れたように、この作品はジャコモ・パッキアロッティという画家によって描かれたとされる作品です。しかし近年の研究により、制作には少なくとも2名以上の画家が関与していることが囁かれていました。そうした情報を頭の片隅に、私も連日この作品と対峙していると、少なくとも3名以上の画家の手が入っているではないかと考えるようになりました。複数描かれている聖人の表情は、場所によってその表現方法や筆の運びが大きく異なるからです。
かつて、大画面に描かれることの多かった壁画は、工房制作として師に当たるマエストロと、その弟子達によって制作を進めるという形式が頻繁にとられました。であれば、複数の画家の痕跡が残っていても不思議ではないのですが、重要とされる人物の顔についてはマエストロが手掛けるというのが一般的でした。しかし、この作品については前述したようにそれぞれの人物によって異なるタッチで表情が描かれています。こうしたケースは、この作品が制作された15世紀頃を考えると非常に珍しいと言えるでしょう。
中でも、画面に向かって聖母子の右隣に描かれた聖パウロと聖イッポリートは、他とは異なる繊細な雰囲気を醸し出していました。一説では、この聖イッポリートの表情がラファエロの自画像に酷似していることから、青年期のラファエロが関与していたのではないかとの噂があります。これに関しては、今後更に研究を進めていかなければ何とも言えませんが、保存修復の進行状況と合わせて詳細が明らかとなり次第、皆さんにもお伝えできればと思います。
最後に、アッシャーノの街ですが、その周辺はクレ―タ・セネーゼと呼ばれる粘土質の土壌が広がり独特な景観を形成しています。今回は仕事終わりに同僚と散歩に出掛けたときに撮影した写真を一枚。トスカーナ州に広がる美しい風景のひとつです。
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4年後の"喜びの報告! "
http://affresco.exblog.jp/22776936/
2014-08-20T22:00:00+09:00
2014-08-21T16:22:18+09:00
2014-08-21T16:22:18+09:00
affresco-bastioni
修復家の独り言
その理由としては、「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の製品は日本で愛用して下さる方が沢山いらっしゃり、多くの利益をもたらせて下さっている。その上、我々が所有する壁画作品の保存修復費用までご負担いただく訳にはいかない」というものでした。私は、フィレンツェの郊外、レジナルド・ジュリアーニ通りに面した薬局のオフィスで代表の方からこの話を聞かされた時、大きなショックを受けたことを今でもよく覚えています。しかし、その後サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は直ぐに自社で保存修復事業を立ち上げ、入札制度によりこの壁画保存修復に着手したのでした。もちろん、私も仲間と一緒にこの入札に参加しましたが、残念ながら採用はされませんでした。
先日フィレンツェを訪れた際、この旧聖具室の保存修復が完了したと聞きつけて見学に行ってきました。店の売り場を抜けて旧聖具室に足を踏み入れた瞬間、目の前に広がる光景にしばし言葉を失ってしまいました。1966年にフィレンツェを襲った大洪水によって大きく損傷していた壁画は、見事にその輝きを取り戻していたのです。この旧聖具室は一般にも公開されており、誰でも気軽に見学することができます。フィレンツェを訪れられる際には是非、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局でお買い物がてらこの部屋を覗いてみて下さい。きっと大きな感動があることでしょう。
壁画保存修復士としては、今でも「自らの手でこの壁画を復活させたかった」という思いはありますが、とにかく危機的な状況から解放されたフレスコ画を大変嬉しく思います。4年という月日が経過しましたが、今ここに、皆さんへの "喜びの報告!" ができました。
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明らかとなった傷みの数々
http://affresco.exblog.jp/22776156/
2014-07-25T19:00:00+09:00
2014-08-22T14:39:21+09:00
2014-08-21T13:31:51+09:00
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修復家の独り言
今回はその初期段階として、写真記録撮影による非破壊調査を実施しました。通常光による撮影に加え、赤外線撮影や紫外線蛍光撮影を行ったのですが、その結果、想像をはるかに超える作品の傷みが浮き彫りとなりました。
驚かされた事のひとつに挙げられるのが、補彩箇所の多さと補彩そのものの劣化です。補彩箇所が多いということは、すなわち修復時における作品の傷みが既に激しかったことを物語っています。それが自然に起こった傷みであるのか、それとも壁からストラッポされた時に起こったものなのかは、現時点では何とも言えませんが、想像を絶するその量は、作品における重要なポイントである天使の表情さえも作り変えてしまう程でした。また、補彩時に使用されたバインダーの劣化が原因と考えられる色調の変色が随所に見られ、作品全体の統一感が損なわれる原因のひとつとなっていました。
そして、もうひとつ驚かされたのが、作品と支持体パネルとの結合状況です。作品を斜光で照らしてみると、ストラッポ法によって僅か数ミリ程度の厚さとなった作品は激しくたわみ、裏打ちに使用された布の目がところどころ浮き出してきているではありませんか。この作品は壁から剥がされると裏面補強処置を経て布で裏打ちされ、金属製の網の上にジェッソで貼り付けられています。こうした状況から考えられる原因としては、修復時の杜撰な処置方法や裏打ちに使用された接着剤の経年劣化が原因と考えられます。
今後は、引き続き保存状態調査を進めた後、劣化原因の究明と劣化状況改善を目的とする、具体的な保存修復作業に移行してゆく予定です。その経過状況はこのブログ内でも随時ご報告してゆく予定ですので、興味のある方は是非楽しみにしていて下さい。]]>
文化遺産保護に対する意識
http://affresco.exblog.jp/22506214/
2014-06-25T22:00:00+09:00
2014-07-10T09:54:34+09:00
2014-07-10T09:51:19+09:00
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修復家の独り言
雄大な自然の中に立ち並ぶパゴダはレンガを使って建てられているものがほとんどで、様々な角度から積み方などその様式を観察していると、アーチ型の扉口にヴォールト天井も携えており、その技術力の高さにとても驚かされました。かつてインドやスリランカ、タイなどの国々から仏僧が集まり、国際的な仏教研究の地として発展を遂げたバガン。それと同時に建築技術なども大きく花開いたと考えられます。
今回の調査対象である壁画ですが、そうしたレンガ構造の建物の内壁に漆喰を塗りセッコ画法を用いて描かれています。題材は釈迦の伝記に基づく仏伝図であり、バガン王朝時代に絵仏師として高い技術を誇っていたモン族(紀元前より東南アジアに居住していたとされる民族)を招いて描かせたと言われています。そんな中には、インドのアジャンダー石窟寺院に描かれている壁画を彷彿させるような繊細で美しい筆遣いの作品や、9世紀頃よりこの地に定住したとされるビルマ族がチベットから南下してきたことを物語るような様式を持つ作品などもあり、改めてこの地が国際色豊かな一時代を経てきたという事実を実感することができました。
そんな無数にある壁画群の保存に関してですが、現地には壁画保存修復の専門家もいらっしゃるのですが、日本を含む複数の国々からも専門家を招いては、よりミャンマーの壁画に最適な保存修復方法の確立に向け研究に尽力されていました。夏期、雨期、乾期という3つの季節を備えた熱帯気候がもたらす影響やパゴダに起こる雨漏り。また、数千にも及ぶ遺跡群が身近にあり過ぎることから起こる問題意識の欠如。ミャンマーという国の文化を理解したうえでより最善な解決策を見出せたとき、この素晴らしい多くの壁画はかけがえのない人類の文化遺産として、大切に守られながら後世の人々に受け継がれてゆくことでしょう。
今現在も、「ミャンマーという国の文化を理解したうえでより最善な解決策を見出せたとき」というフレーズを頭の中で繰り返しながら色々なことを考えています。下の写真は、私が壁画の調査をしているときに連日パゴダに遊びに来ていた現地の子供達です。仲良くなってくると、次第に私の仕事の手伝いをしてくれるようになりました。透き通るように美しい瞳には、生まれた頃から当たり前のようにあるパゴダや壁画はどのように映っているのでしょう?この子達が、それらがどのような目的で描かれ、どれほど重要な意味を持っているのかを理解してくれたとき、この国の文化遺産保護に対する意識は大きく変わるのではないかと強く感じました。
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フレスコ画のパイオニア 『長谷川路可』
http://affresco.exblog.jp/22230686/
2014-05-20T21:00:00+09:00
2014-06-06T15:59:09+09:00
2014-06-06T15:59:09+09:00
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修復家の独り言
『長谷川路可』という人物の略歴をご紹介しましょう。
彼は1897年に東京に生まれます。東京美術学校で日本画を学ぶと、1921年、卒業と同時にフランスへと留学。今でこそ海外へ留学することは珍しい事ではありませんが、当時を考えると非常に勇気ある決断であったといえるでしょう。フランスで彼は洋画技法を学ぶことに専念します。その後、ヨーロッパ各地を転々としながら、ルーヴル美術館や大英博物館などに所蔵されている西域壁画のコレクション模写に明け暮れます。その背景には次のようなエピソードがあります。当時、ヨーロッパの様々な国では、アジア西域の遺跡を発掘調査するために探検隊を派遣することがある意味ブームのように起こっていました。そして、一連の調査の中で壁画が発見されると、その主要部分を壁から剥ぎ取り自国に持ち帰るということが頻繁に行われていたのです。この現状に心を痛めた東京帝國大學や京都帝國大學の教授らは、何とかこれらの壁画を模写することはできないだろうかと考え、その依頼を出したのが、フランス留学中の長谷川路可だったという訳です。当時長谷川が模写した作品は、現在も東京国立博物館や東京藝術大学、もちろん依頼元である東京大学や京都大学にも所蔵されています。
1927年、日本に帰国した長谷川路可は、日本画のみならずヨーロッパで学んだ西洋の絵画技法を駆使しながら数々の作品を制作してゆきます。この中で使われた絵画技法のひとつが、日本ではそれまで誰も知らなかったフレスコ画でした。西域壁画の模写の仕事を終えた彼は、フランスに戻りこのフレスコ画技法やモザイク画技法を学んでいたのです。日本で初めて制作されたフレスコ画は、依頼を受け個人宅の礼拝堂に描かれます。ここで、「礼拝堂に壁画を制作?」と思われた方がいらっしゃるのではないでしょうか。実は、長谷川路可は1914年にカトリックに入信しており、それまでにも水墨画などで宗教画を制作していました。また、ヨーロッパ留学中にもカトリック美術を学んでいた経緯があったのです。(入信時には洗礼名「ルカ」を授かっており、ここから雅号を「路可(ろか)」としました。ちなみに本名は龍三といいます)その後、長谷川が壁画を制作した個人礼拝堂はカトリック喜多見教会に献納されるのですが、1978年に教会の移転が決まるとストラッポ法により壁から剥がされ、移転先の小聖堂の中に設置されます。昨年、このカトリック喜多見教会は閉鎖されることになったのですが、長谷川路可の作品は、聖セシリア女子短期大学に寄進され、現在も大切にされています。
長谷川路可は大学などで教鞭をとりながら、数々の作品を世に生み出してゆきます。そんな中、カトリッ教会の総本山であるヴァチカンより大きな仕事の話が舞い込んできます。1950年、聖年に際してイタリアに渡っていた彼は、ローマの北方に位置する街チヴィタヴェッキアの日本聖殉教者教会への壁画制作依頼を受けるのです。こうして、構想から壁画完成まで実に10年近い歳月をかけて、日本二十六聖人殉教大壁画をおおよそ完成させるのでした。
フレスコ画の本場イタリアでの貴重な経験を経て技術に更なる磨きをかけた長谷川路可は帰国後、弟子達と様々な場所にフレスコ壁画やモザイク壁画を制作してゆきます。近々、建て替えが計画されている国立競技場のスタンドに、モザイク用ガラスを使ってモノクロの『野見宿禰像』と『ギリシアの女神像』が設置されていることをご存知ですか?実は、あの作品も長谷川路可によって1964年に制作されたものなのです。
1966年。長谷川路可は、日本二十六聖人記念館からの依頼を受けて長崎に向かいます。そして『ザヴィエル像』と、チヴィタヴェッキアでも取り組んだ日本二十六聖人に纏わる物語をテーマに、『長崎への道』という壁画を制作します。しかしこの時、路可は心臓病を患い制作中にも入院するなど、その身体は着実に弱っていたのでした。長崎での仕事を終えた長谷川路可は、チヴィタヴェッキアでの壁画制作継続と、新たな作品制作の交渉のためにイタリアへと渡ります。しかし、その先で脳溢血を発病すると、その3日後に帰らぬ人となったのでした。亡くなった日の6日後には70歳の誕生日を控えていた長谷川路可。波乱万丈な人生の中で多くの芸術作品を生み出してきた彼にとって、長崎で制作した『長崎への道』が遺作となったのでした。
先日私は、このフレスコ画作品『長崎への道』を調査するために、長崎にある日本二十六聖人記念館を訪れました。館長さんをはじめ、関係者の方々にお話を伺いながら作品を調査していると、壁に向かい絵筆を走らせている長谷川路可の姿が蘇ってくるようでした。彼がヨーロッパでフレスコ画という技法に着目し、誰よりも先に日本美術界に持ち込んだ功績は高く評価されるべきであると私は思います。日本におけるフレスコ画のパイオニア『長谷川路可』のフレスコ画作品に、みなさんも是非注目してみて下さい。
なお、現在も継続中である調査研究内容につきましては、このブログの中でも随時ご紹介してゆきたいと考えています。是非お楽しみに!!]]>
『荘厳のキリストを支える二人の天使』
http://affresco.exblog.jp/21852612/
2014-04-20T20:00:00+09:00
2014-04-21T18:22:57+09:00
2014-04-21T16:12:52+09:00
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修復家の独り言
作品は1447年から1448年にかけ制作され、もともとはサンタ・アッポローニャ修道院入口扉の真上に描かれていました。正確な時期は資料が残っていないためはっきりとしていませんが、19世紀前半に壁から剥がされ、食堂内に移し替えられたといいます。
題名からも分かる様に、作品は棺を前にキリストの亡骸を2人の天使が両側から支えている様子を描いています。解剖学的な視点から捉えたキリストの構図はドナテッロ作品から学んだのではないかとされ、その彩色スタイルはマサッチョからの影響がみられます。
ルネッタに描かれていたことから半円形をしたこの作品の周囲には、額縁状にパルメット文様が描かれています。パルメットとは植物を題材にした文様のことを言い、その起源は古代エジプトまで遡るといわれます。最後の晩餐の装飾にも古代ギリシャやローマの彫刻を模した描写がなされていたことを考えると、ルネサンス最盛期を迎えんとする時期に活躍した作家だけに、彼もまた他の芸術家達同用、古(いにしえ)の芸術文化から強い影響を受けていた事を窺い知ることができます。
今年、この作品の保存状態調査研究に携わる可能性が出てきました。もし、調査の結果、作品の状態が良好でなければ、保存修復を実施する可能性も含んでいます。現時点においては、詳細な調査を行っていないため前回修復が行われた時期は把握できていませんが、同じ建物内に同じ作家によって描かれた作品が20世紀半ばに修復されたことを考えると、その一連の流れの中でこの作品にも手が加えられたことが考えられます。現存する作品数の少ないアンドレア・デル・カスターニョの貴重な作品。もし進展があれば、このブログの中でみなさんにお伝えできればと思います。]]>
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