カテゴリ
以前の記事
2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 10月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 08月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 リンク
ライフログ
最新のトラックバック
検索
ブログパーツ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
みなさんはソドマ(Il Sodoma:1477-1549)という画家をご存知ですか?本名をジョバンニ・アントニオ・バッツィ(Giovanni Antonio Bazzi)といい、イタリアとフランスの国境に位置するピエモンテ州のヴェルチェッリという地に生まれました。13歳より画家としての修業をはじめ、1501年、彼が24歳のときにトスカーナ州のシエナに活動の場を移します。その後、ペルジーノの弟子(ラファエロの兄弟弟子にあたる)といわれるピントゥリッキオ(Pinturicchio)と並んで盛期ルネサンス様式を取り入れた数々の作品を、このシエナを中心に制作してゆきます。 生涯を通じて多くの時間をシエナで過ごしたソドマですが、ローマでも活動しています。1508年、教皇ユリウス2世からはバチカン宮殿の『署名の間』への製作を依頼されていますから、画家としての評価が高かったことが伺えます。ここで、「『署名の間』といえばラファエロが製作したのでは?」と、思われた方がいらっしゃるのではないでしょうか。その通り、有名な『アテナイの学堂』や『聖体の論議』が描かれている部屋が『署名の間』です。実は、ソドマが製作した作品をみた教皇はその出来栄えが気に入らず(ジョルジョ・ヴァザーリ談)改めてラファエロに依頼。既に描かれていたソドマの作品は剥ぎ取られ描き直されたとのエピソードが残っています。 一度はシエナに戻るソドマでしたが、再びローマでの仕事の依頼を受け舞い戻っています。銀行家だったアゴスティーノ・キージによって建てられた「ファルネジーナ荘」において、キージの寝室の壁に描いた作品『アレクサンドロスとロクサネの婚礼』(1519年)は素晴らしい作品のひとつと言えるでしょう。ちなみにこのファルネジーナ荘にあるガラテアの間には、ラファエロの代表作『ガラテアの勝利』(1509~1512年)も描かれています。ローマを訪れる際には是非お立ち寄り下さい。 そんなソドマがシエナに移り住んでから数年後に描いた代表作が、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院(ベネディクト修道会属)の大回廊に描かれています。先月のブログ記事の中で触れた壁画はアッシャーノという街に描かれていますが、そこからこの修道院へは距離にして約10km、車で約15分の所にあります。私はよくその途中にあるキウスーレ(Chiusure)という街のレストランに食事に行っていたのですが、高台にあるこの街から見下ろせば、このモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院が目に飛び込んできます。写真の様に緑に囲まれた中に佇むこの修道院が私は大好きで、休日になれば足を伸ばし回廊に描かれた壁画を眺めるのがリラックス方法のひとつでした。 この回廊の壁画は『聖ベネディクトの生涯』をテーマに描かれたもので、全部で36の場面から構成されています。もともとはルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli)が仕事の依頼を受けて壁画の製作を始めたのですが(1497~1498年)、更に重要なオルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂への壁画製作依頼を受けて中断。それを引き継ぐ形で筆をとったのがソドマでした。1505年から描き上げたのは実に27の場面。(ルカ・シニョレッリが8場面、バルトロメオ・ネローニが1場面[1540年製作])ソドマ独特の色彩と筆遣いで描かれた作品は、登場人物の表情も豊かで見る者を飽きさせません。こうした個性的ともいえる表現は、彼が使った技法に秘密が隠されているのではないかと私は考えています。フレスコ画の特徴のひとつである透明感を持った色彩とは異なり、深みのある印象を受けるソドマの色遣い。そこには、純粋なフレスコ画技法だけではなく、油彩画やテンペラ画といった異なる技法が混合技法として取り入れられている点にあると思われます。 ここでエピソードをひとつ。ソドマがシエナに活動の場を移す前の1498年、彼が21歳の頃。実はミラノで生活していた時期があります。当時のミラノといえば、そう、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが『最後の晩餐』を仕上げていた時期に当たります。レオナルド・ダ・ヴィンチがフレスコ画技法を嫌い、油彩画やテンペラ画で壁画を製作していた事は有名な話ですが、そんなレオナルドの元をソドマが訪れていたとしたら…その製作スタイルから何かを学んでいたとしても不思議ではありません。事実、ソドマの描いた作品がレオナルドの作品ではないかと勘違いされていたこともあり、大きな影響を受けていたことに疑う余地もありません。こうした事を考えると、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院での壁画製作に、レオナルドから学んだ混合技法が取り入れていたとしても、ごく自然な流れであったといえるでしょう。 この様に、製作スタイルと歴史の流れを組み合わせてみてゆけば、色々と面白いことが見えてきます。こうした事も、壁画保存修復に携わる者の楽しみのひとつと言えるかもしれません。 モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院は、決してアクセスの良い場所にあるとはいえません。しかし、機会があれば是非、このレオナルド・ダ・ヴィンチからの流れを汲むソドマや、ミケランジェロに多大なる影響を与えたルカ・シニョレッリの壁画作品を鑑賞しに訪れてみて下さい。修道院を取り囲む環境が、回廊の空間が、そして、そこに描かれている作品群が、あなたを異世界へと誘ってくれることでしょう。
by affresco-bastioni
| 2015-05-20 21:00
| 修復家の独り言
|
ファン申請 |
||