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国立西洋美術館にて、2013年3月2日~6月2日までの期間、『ラファエロ』の展覧会が開かれます。日本においてもその名を知らない人はいないという程に有名なラファエロですが、意外なことに今回のような大規模な展覧会が企画されることは初めてだということです。 わたしも個人的に大好きな作家のひとりであるラファエロですが、ローマのヴァティカン美術館にあるラファエロの間で初めて彼のフレスコ画を観たときには、その色彩の美しさや柔らかい人物表現に大変感動したことを覚えています。37歳という若さで亡くなったことを思えば、芸術家としていかに卓越した才能の持ち主であったかが窺い知れます。 ラファエロは本名をラファエロ・サンツィオ"Raffaello Sanzio"といい、1483年にマルケ州にあるウルビーノという街に生まれました。ウルビーノ公宮廷画家であった父ジョバンニ・サンティより画家としての手ほどきを受けたと考えられており、フレスコ画の技法もこのときに身に付けたのではないかと言われています。芸術的才能に恵まれていたラファエロでしたが、8歳のときに母を、11歳のときに父を亡くすと、その後は伯父に引き取られ寂しい幼少期を過ごしています。 その後、正確な時期は定かではありませんが、ラファエロはピエトロ・ペルジーノの工房に弟子入りを果たします。(ヴァザーリによると母を亡くした直後に弟子入りしたとありますが、8歳という年齢が若過ぎることから、専門家の間では疑問視されています)当時、多くの弟子を抱えていたペルジーノでしたが、その中でもラファエロはずば抜けた才能の持ち主であり、師の教えを着実に吸収してゆきました。確かに、それは作品からも見受けられ、現代のように研究が進められていなかった時代には、しばしば師の作品なのか、弟子の作品なのかの判別がつかない程でした。 ラファエロは、ペルジーノから教えを乞う傍ら、自ら進んでフィレンツェ美術を取り入れるなどして自身のスタイルを確立してゆきます。1504年頃からは実際にフィレンツェにも滞在し、同じ時期に活動をしていたレオナルド・ダ・ヴィンチに大きな影響を受けたとされています。考えてみれば、以前ご紹介した幻の壁画『アンギアーリの戦い』が制作されたとされるのも1504年でしたね。 その後、1508年になると今度はローマに赴きます。ローマ教皇ユリウス2世からの招きを受けたことによるもので、ヴァティカン宮殿内にある4つの部屋「コンスタンティヌスの間」「署名の間」「ヘリオドロスの間」「ボルゴの火災の間」への壁画装飾を手掛けるのでした。こうしてミケランジェロが手掛けたシスティーナ礼拝堂天井画と合わせ「盛期ルネサンスの傑作」といわれるフレスコ画の大作が完成します。 画家としてはフレスコ画や油彩画など数多くの作品を残し、その他にもドローイングや版画家と組んでデザインを手掛けるなど、信じられない程の仕事量をこなしたラファエロ。この他にも建築のデザインも行っていたというのですから、まさに超人と呼ぶに相応しい芸術家であったといえます。37年間という短い生涯をあらかじめ予期していたかのように一気に駆け抜けたラファエロの人生。今なお、こうして世界中の人を魅了して止まない人気ぶりを彼はどう思っているのでしょうか… ラファエロの名前を聞いて思い出すエピソードが幾つかあります。 ひとつは、ピッティ宮殿内にあるパラティーナ美術館で研修をしていたとき、保存修復現場が「土星の間」“Sala di Saturno”にあったことから、毎日のようにラファエロの作品を間近で観る機会を得ました。この部屋にはあの有名な『小椅子の聖母』や、今回日本に来る『大公の聖母』が展示されており、暇さえあればそれらの作品を前にして、そこから放たれるラファエロが紡ぎだす独特な雰囲気に酔いしれていました。 そしてもうひとつは、以前このブログでもご紹介したことがありましたが、わたしが2010年にピエトロ・ペルジーノ作フレスコ画『キリストの磔刑』の保存管理プロジェクトに参加したときのこと。間近でみるペルジーノの筆使いが余りにラファエロがフレスコ画を描くときに使う筆遣いに酷似していたことから、深い感銘を受けました。「いかに弟子が師の影響を強く受けていたのか」「いかに師の技を忠実に身に付けていたのか」そんな彼等の師弟としての事実関係を考えていると、500年前のことにも関わらず何故だかワクワクしてしまいました。 この他にも、フィレンツェ、ペルージャ、ウルビーノ、ローマを巡り、ラファエロやペルジーノの作品を辿ったことも良い思い出です。 魅力たっぷりのラファエロの作品は「一見の価値あり」だといえます。今回は20点以上の油彩画作品が集まるということですから、次回となればいつこのように恵まれた展覧会が企画されるのか想像もつきません。是非この機会を逃すことなく、ルネサンスを代表する画家ラファエロの作品をご堪能していただければと思います。
by affresco-bastioni
| 2013-02-04 20:00
| 修復家の独り言
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